実家がある地区の月一の不燃物の日の前日、片付けに行ってきました。
大量のグラスやお湯呑み、お皿などがたくさんあるので、不燃物の日に少しづつ出しています。
箱に入ったままのグラスや茶碗などはリサイクルに出せるけど、使用したものは不燃物に出すしかないですよね。
20年くらい前に義実家の大量の食器をフリーマーケットに出したことがあります。
ほとんど古いものばかりでしたが、一枚十円やタダで出したら「絵具を入れるのに使おうかしら」とか結構持って帰ってもらえて助かりました。
でも出店料や重い食器を会場に運び込む苦労を考えると、もう2度とできません。(若さがあったからできた)
昭和の時代は内祝いとか引き出物として、食器や花瓶などをもらうことも多かったですしね。
お湯を入れるポットもエアーポットやお湯が湧くタイプとかいろいろあって5つぐらいありました。
これもたぶんいくつかはもらったものではないかな。
モノを贈り合うのが昭和の時代の常識だったし、新らしいモノが楽しみであり、喜びでもあったんですよ。
今見ると「こんなにモノはいらん!」って冷静に言えるけど、そのモノに大喜びしていた時代を経験してるだけに大きな声で否定もしにくいものです。
とても栄えていた王国が今はすっかり誰も住んでいない荒れ果てた国になってしまった寂しさ、悲しさ、気恥ずかしさみたいなものが胸を締め付けます。
なので、実家の片付けって、物理的な片付けだけでなく、「供養」みたいな気持ちになります。
だからなかなか進まないし、辛いんでしょうね。
他人である業者さんに頼んだ方がずっといいんだろうけど、あえて自分でやることで、いろんな思いが消化できるので、わたくしはいいかなあと思って頑張ります。
重たい家具類の処分は業者に頼むつもりです。
では!