ジャーナリストの池上彰さんと宗教学者の釈徹宗さんの『外出自粛が気づかせた「コロナ前の日常」の異常』というタイトルの対談がとても興味深いものでした。
コロナでブレーキがかかった
去年の外出自粛の時、休校になったり、学校や会社がオンラインになったり、旅行に行けなくなったり、外食もできなくなったりして、急にいろんなものにブレーキがかかったようになりました。
でもこれで、引きこもりの人が「なんだか安心した」と思ったそうですね。
たしかに、外出しないとダメな人に思われるといけない・・・と気になってたけど、無理に出かけなくていいんだと思うと、とっても楽な気持ちになりましたね。
行事などに振り回されていた自分にとってはほっとした一面もあります。
外にでないといけない、というプレッシャーってけっこうシンドイものです。
でも一方で、学校や地域の行事などが無くなったりして、子供たちが友達とコミュニケーションをとれなくなったり、高齢者が孤立したりという問題もあるんですけどね。
毎日が「ハレ」の日だった
柳田國男の言う「ハレ(晴れ、霽れ)」と「ケ(褻)」を思い出しました。「ハレ」は、儀礼や祭祀、年中行事などの「非日常」。「ケ」は、普段の生活である「日常」。しかし、新型コロナウイルス以前は「ハレ」が常態化していました。
新型コロナウイルスで緊急事態宣言が発令され、急速に社会にブレーキがかかると、ちょっと外出するのも「ハレ」の気分になる。すると「ケ」も立ち上がります。ずっと外食していたのは、もしかしたら特別な状況だったんじゃないか、と自らの日常も見直せます。
「ハレ」のテンションが高い状態の方が経済が回るのはわかりますが、ずっとそれが続くのはシンドイです。
わたくしたち日本人の多くが幸福感を感じにくくなってるのは、「ハレ」続きで疲弊していたことが原因だったのかなあ。
最後に
テレビだって、昔は年に一度の「芸能人かくし芸大会」や「芸能人水泳大会」「紅白歌合戦」がとても楽しみでしたが、今はそういう特番は年に何回もやっています。
しょっちゅう放送される特番にはうんざりします。
今までの生活ってそういうものと一緒だったんだと思います。
コロナはわたくしたちの生活を大きく変えました。
収束後、このコロナ禍で気づいたことを生かして、いろんな人が暮らしやすい世の中になるといいですね。
では!