「図太い」と聞くと、がはははっと何ごとも笑い飛ばして、重機のようにどんどん進んで行って、林の中でみつけた大蛇を捕まえてブンブン振り回したり、ラーメンを頼む時大盛りごはんを一緒に注文してしまうようなイメージがありますが、そう思ってるのわたくしだけ?
そんな偏見を持ち合わせたわたくしですから、「図太く」なりたいとは思ってないのですが、この本で言う「図太さ」というのは、
生きていくうえで、心を強く持っていられる。そういった態度の”源流”になっているのが「真の図太さ」なのです 。
つまり「たくましい心」「やわらかい心」「おおらかな心」を持っているということなのですね。
禅は「比べる」ことをもっとも嫌う
自分より仕事の能力がある同期を羨んだら、自分の能力が高まりますか?綺麗な彼女を妬ましく思ったら、自分が美しくなるのでしょうか?
他人と比べたところで、自分は何ひとつ変わらないのです。
ほんと!人と比べたところで、何も生まれません。
この間の自分のやり方と比べると上手くできるようになった!と、自分を比べる対象にすると、そこには必ず成長が生まれます。
自分にとって、おトクになる方がぜったいいいですよね。
自分の大切な時間を、他人に振りまわされない
自分の意にそわないのにもかかわらず断ることができないのは、他人を思う優しさとも、人のよさとも、気の弱さともとれるのですが、そのために費やしている時間は、他人に奪われている時間ともいえるのです。(中略)時間は限りあるものです。他人のために自分の時間を削るのではなく、自分が主人公になって使う。それが時間の使い方の王道でしょう。
主人公は自分!
だって自分の人生ですものね。
自分が主役なのは当たり前です。
落込んだときは、まず掃除をする
禅の考え方からいえば、落込んだときにすすめたいのが身体を動かすことです。なかでも「掃除」がいちばん。(中略)
掃除は単に塵や埃を払ったり、その場を磨いたりするものではなく、自分の心についた塵や埃を払い、心を磨くものだと考えるからです。
とにかく、気持ちを切り替えるために掃除をする。
ただそれだけで、気持ちが軽くなれます。
最後に
「図太くなる」、それは自分が主人公になるということ。
ただ、わたくしたちはいろんな人間関係や、子育てや介護など、自分が主人公で振る舞うことはとても難しい状況にあると思います。
それでも、なんとか禅思考でしなやかに生きていきたいですね。
でも、たいへんそう。
では!