週に一回実家の片付けをしています。
引き出しの中身はちぎっては投げ、じゃなく掴んだら袋に投げ入れ、っていう感じでバッサバッサとやっています。
「無」の感情でやってるんですが、ふと思ったのです。
多すぎる菜箸(お正月などで使った祝箸です)
大量のラップの芯(この他にもある)
祝箸は使い終わった後、割り箸と違ってきれいにしているので、菜箸に使おうと取っておくんだと思うんです。
古くなったのは捨てて、どんどん替えればいいんでしょうけど、こんなに菜箸って必要ないですよね、2、3本あればいいし。
ラップの芯も「何かに使える」と取っておいたのでしょう。(母は自作の棚の脚に使ったり、ヘンテコDIYに使っていたようですが)
それでわたくしは考えたのです。
モノを使い終わったら、そのあとの使い道を考えないことがモノを増やさないコツなのではないかと。
割り箸や空き箱などで工作をする場合は別として、ラップの芯として生まれてきたら、ラップの芯のまま命を終わらせてやるのが正解。
ゴミの日にさらば!と言って捨てれば、不要なモノで部屋がいっぱいになることは少なくなります。
ラップの芯はラップを巻きつけておくことが使命であって、ラップの芯の第二の人生をわたくしたちが考えるのはやめましょう。
きれいな箸や固くて丈夫なラップの芯は、何かに使えそうでもったいない精神が出てきます。
しかしラップ芯の人生(芯生)を全うさせることが、ラップ芯のためにも、わたくしたちの家の片付けのためにもなる、とよーく自分に言い聞かせたいと思いました。
ラップや箸の他のものにも同じことが言えますよね。
また来週も実家を片付けに行きます!
では!