著述家の湯山玲子さんの「女たちの欲望を阻む『迷惑をかけるな』の呪い」というコラムを読みました。
日本人は「人様に迷惑をかけてはいけない」「迷惑をかける人はその人の責任」みたいな風潮が強いです。
女性は特に子育てや介護の場面で、ご近所、会社の同僚、両親、夫、いろんな人に迷惑をかけてしまうと思うことがとても多いと思います。
わたくしもそう思ってきたし、子供にもそう言ってきたと思います。
でも、人間って生まれた時から迷惑(人の手)をかけてもらってるし、ないと毎日の生活は成り立ちません。
病院、スーパー、清掃の人、ものを運ぶトラック、いろんな人の手を介して生きてるのですから。
人に迷惑をかけてはいけないって思わなくていいんですよ。
ずっと前にブログに書いたのですが、義母が存命中、夕飯のおかずを何日か分作って置くようにしていましたが、すぐに無くなってしまうんですよ。
そんなにたくさん食べてるのかな?って思ってたら、義母は同じ階に住む高齢の一人暮らしの女性にお裾分けしてたんです。(料理をせず毎日カップラーメンばかり食べていたらしい)
わたくしは仕方ないから、余分に作ってあげていました。
そして近所の人も、その女性を気にしてゴミ出しなどいろいろお手伝いをしていたのです。
高齢女性の息子さんは近所に住んでるにもかかわらず、たまに訪ねてくるくらいで何も生活の手助けはしていませんでした。
ある日その女性は入院して、そのまま施設かどこかに入居したそうで、いつの間にかいなくなってしまいました。
もちろん息子さんからの挨拶も何もなし。
近所の人と「挨拶ぐらいあってもいいのにねえ・・・」と話をしました。
わたくしも「ご飯お裾分けしてたのに挨拶なし!?非常識な息子だ!」ってすんごい腹立ちました。
でも、わたくしはお礼を言ってもらいたくてご飯を作ったわけでなく、毎日カップラーメンしか食べていない女性のこと、そしてその女性をふびんに思ってご飯を分けてあげてた母の気持ちを大事にしたくて作ったんです。
だから挨拶がなくても、それでいいんですよ。
「〜してやったのに」はいけません。
困った人がいるから助ける。
それだけ。
人に迷惑をかけてもいいんだ、ってなかなか考えにくいと思うんで、見返りとかを期待しないで「困った人がいたら助けよう!」ってだけ思うようにしたらいいんじゃないかな?
そうしたら、少しは寛容な社会になってくのでは、と思うんです。
なかなか難しいかな。
では!
湯山玲子 女たちの欲望を阻む「迷惑をかけるな」の呪い:日経xwoman