当たり前だった家事ができなくなる
稲垣えみ子さんのエッセイに亡くなる3年前から認知症を発症したお母さんのお話を読みました。
家事を完璧にこなす頑張り屋の専業主婦のお母さんは、認知症が進むにつれ「完璧な家事」ができなくなっていくことに、とても戸惑っていたそうです。
毎日家中をピカピカに掃除し、大量の洗濯物を洗って干して、あれこれレシピ本を見ては凝った料理を作ってテーブルいっぱいに並べるのが母の当たり前の日常であり、主婦としてのプライドでもあったのだと思う。
しかし、「料理を作る」と言っても、献立を考え、材料を揃え、ご飯を炊きながら、複数のおかずを作るというとても複雑な工程があるのです。
「家事」は自分の力で生きているということ
毎日同じ基本的な料理を作り、毎日最低限のものを洗い、毎日小さなスペースをホウキでさっと履くだけで、家の中がちゃんと整うような質素な暮らしをしていたならば、母とてもっと長い間、それを無理なくこなし、自分の人生を自分の力で生きているのだ、やるべきことをやっているのだという誇りと充実感を持って生きることができたんじゃないだろうか。
「誇りと充実感」ってのは誰しも生きるために必要なことで、それが「家事」なんですね。
家事レベルを下げよう!
料理にしてもそうだけど、わたくしたちって、とにかく家事レベル上げすぎ。
うちの母は父が亡くなってから、すぐに「ハンバーグって自分で作るより、セブンイレブンで買った方がずっと美味しい!」と冷食を取り入れたので、認知症の今もご飯だけは炊飯器で炊いて、おかずは冷食や惣菜を食べています。
なので、早くに料理だけでなく、他の家事レベルを早く下げておくべきですね。
家事レベルを下げると老後の暮らしが楽になるだけでなく、小さい子供や家事をやったことがないっていう大人も家事参加しやすくなるってこと。
誰しも生活しやすくなるんですね。
最近料理の簡素化をずっと考えていたけど、老後のために家事や生活のあれこれの簡素化をすすめていくぞ!
では!
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