お友達と話していて、「呪い」の話になって・・・
ずっと前だけど、自殺の名所で有名な富士の樹海の画像で、
すんごいおもしろいのがあって、うっそうとした森の中に
そびえる一本の大木にペンキか何かで書かれた文言が、
「祝ってやる」だった。
きっと書いた人は「呪ってやる」って書きたかったんでしょうね。
でも、つい人の良さから「祝ってやる」って書いちゃったのかな?
(ハレルヤ!的な?)
友達は大笑いして「確かに、呪いと祝いは字が似てるよね」と
言っておりましたが、ほんと偏が違うだけですものね。
呪と祝に共通する「兄」は祭壇の前で祈りを捧げる人、神職者
ということです。
そして祝いの示(しめすへん)は神や祭りに関する事を
表しています。
つまり祝は祭壇で幸せを祈る様子。
一方、呪いの偏の「口」は口から発せられる
祝詞(のりと)ということ。
祝詞と両方の意味があったのですが、しだいに
良い祈りが「祝」、悪い祈りが「呪」に転じていったそうです。
もともとは、「呪」も「祝」も神様に家族や大切な人のためを思って
祈るという意味だったのですね。
「呪」「祝」もどちらも「人のことを思って祈る」という行為です。
でも、同じ祈りなら、幸せを願う方が自分自身もぜったい
幸せになると思うので、そちらにエネルギーを使いたいですね。
では!