
先日、夫と二人でお寺に行って母の四十九日の法要を終えたことを書きました。
納骨も無事に済み、その後お寺の奥様に「お茶がありますので、どうぞご自由になさってくださいね」と控え室に案内してくださいました。
8脚ほどの椅子とテーブル、ポットと湯呑み、お茶っぱが用意された6畳くらいのお部屋。
法要が終わったらすぐ帰るつもりでしたが、よく考えたら、こういう時は来てくれた兄弟や親戚が集まって、お茶菓子をつまみながら故人の思い出を語り合うんですよね。
小さい子がいたら、お寺の中を走り回ったりして「コラー!走らないよ!」なんて叱られるのをみんなで笑ったり。
そんな光景も、きっと故人の供養になるでしょうね。
私たちは二人だけですが、いつも持ち歩いてる一口羊羹をお茶請けにして、母のこと、これからのお墓の管理になどについて話をしました。
その後母のことを知らせていない親戚や友達などに、喪中の葉書を出しました。
すると、もう何十年も会ってない15歳ぐらいほど歳が離れている従姉妹から久しぶりに電話をもらいました。
従姉妹は子供の頃の父と母の思い出を、いろいろ話してくれました。
母が認知症になってから「もう昔の話を誰とも話すことはできない」と思っていた私は、そのひとつひとつの話がとても嬉しかったです。
「過ぎ去ったことを話ししても仕方ない。前を向かなくてはね」なんて思ってた私ですが、こうやって昔話を聞けることが、こんなに胸に響くとは。
お年寄りがよく昔話をするのを、「またその話?」なんて思ったこともありました。
あの時代を生きた証を語ることは、「あの時も生きていたし、今も生きている」と感じられる、大切な時間なのだとしみじみ思いました。
今度は私から従姉妹に電話をしてみようと思います。
それではまた〜