わたくしの以前のブログを読み返すと、母の愚痴ばかり書いていることは前にも書いたと思いますが、ほんとに多いですね。(読み返してしみじみ)
相当なストレスだったのはわかるし、とにかく吐き出さないとやってられないってのもあったのだと思います。
ただ、今思うのは自分が「真面目すぎ」たなあと思うのです。
もちろん、真面目なのはいいことだけど、母の愚痴を聞いてあげなければ(話半分しか聞いてなかったけど)とか、もっと実家に顔を出さなければとか母の思いを100パーセント受け止めて一人でなんとかしなくてはと思いすぎていたようです。
もっと「いい加減」でよかったのです。
例えば、愚痴を聞くフリしてテレビを観るとか(これは実践していました)、「用事があるから」と言って実家に行く回数を減らすとか、母とスーパーに買い物に一緒に行ったら、どさくさに紛れて自分ちの夕飯用に高いお肉を買ってもらうとか、ランチに連れて行っておごってもらうとかたくさんすればよかったのです。
愚痴を聞いて、その対価としてお肉をもらったら、なんとなく頑張って愚痴聞いた甲斐があります。
お肉もらったし、ま、いっか!って気持ちになれると思うんです。
家族の介護で「対価」なんてって思ってたけど、やっぱ「対価」って必要だと思うんです。
それがモノであれ言葉であれ。
阿川佐和子さんの「看る力」に
「母には仕事だと言いながら実はゴルフに行くこともある。帰宅後、『忙しいのね』と心配する言葉に後ろめたさを感じるのだけれども、その後ろめたさが優しくできる心の余裕を生んでくれる」
と書いてありました。
後ろめたさから生まれる優しさなんて、本当の優しさではない、と感じてしまうかもしれないけど、介護の場合の優しさに嘘も本当もないのです。
介護される人にとって、優しくしてもらうのに嘘であっても関係ありませんものね。
今は母は施設に入ってるし、愚痴も全く言わなくなったので、すっかり穏やかに過ごせるようになってよかったけど、以前のブログを読み返すたびに、その頃の自分に「真面目すぎ〜!(IKKOさん口調)」って声をかけたくなります。
もっといい加減に生きないとですね。
では!