前回の続きで、NHKスペシャルの「認知症の母と脳科学者の私」を観て考えたことを書きます。
ドキュメンタリーの内容は脳科学者の恩蔵絢子さんは、認知症になった母・恵子さんの介護をしながら、「記憶が失われても母は母らしくいられるのか―」という問いに向き合い続けてきました。
脳画像を分析したり、音楽療法を取り入れたりしながら、“母らしさ”を探す日々の記録です。
タイトルを見て、娘の恩蔵さんは脳科学者なので、科学的に認知症のお母さんにアプローチしていくんだろうなあ、どんな風なんだろうと思っていました。
でも、恩蔵さんとお母さんの日々は、脳や科学の知識が何も備わってないわたくしとほとんど変わらないものでした。
お母さんの脳の機能はどんどん失われてきているのに、恩蔵さんはどこかにまだ以前のお母さんを見つけたい、という気持ちがあるんだなあと感じました。
いつも「なんでもやってあげるよ」と言って子供だった恩蔵さんきょうだいのために台所に立つお母さんの姿がずっと恩蔵さんの心に残っているのですね。
認知症って、その人間は存在しているんだけど、中身がどんどんいなくなってしまってるようなものですものね。(怒りっぽくなったり、攻撃的になったり人格が変わってしまうとかもありますよね)
認知症って科学的にどんどん研究が進んで欲しいものだけど、科学だけではカバーできないものが大きいです。
もっと介護をする人の方の感情をケアしてくれるような分野が発展してくるといいなあ。
一番いいのは認知症が治る薬ができることなんだけど。
では!