なかなか興味深い人生相談を読んだの。
一人息子さんの結婚を認められず喧嘩になってしまった50代のお母さんからの相談で、結局息子さんに縁を切られ、勝手に籍を入れ相手の姓になり住所も教えてもらえずじまい。
元の関係に戻りたいけど、相手を認められないし、とても苦しいという内容。
回答者は、息子さんはしっかりと自立できていて、ちゃんと親離れができている。
問題は子離れ。
息子さんへの「愛着」が「執着」に変わっています、と指摘。
「愛着」が「執着」へ、うわあああ、耳が痛い。
子への心配って、何歳になろうと死ぬまで続くのだろうと思うけど、自立できれば親の役目はそれまでなのよね。
つい「あなたのためを思って」と余計な口出し、手出しをしそうになるから一応気をつけてはいるけど、やってしまいそう。
この相談者の息子さんは、ひょっとしたら初めて親にすんごい反抗をしたのかもしれないね。
お母さんはずっと息子さんの意思を尊重して育ててきたのだろうけど、どこかで自分の思い通りになって欲しいと思ってたんだろうね。
子どもが親の思った通りの道に進まなかった場合、動揺しつつも「おお、そうか、頑張れ」と信頼して手放すことができるか、「それもいいけど、こうやった方がいいんじゃないの?」と執着するか、そこが大事ね。
相談者のお母さんは、息子さんの選んだ相手と結婚すれば、苦労するに違いないと心配しての意見なんだけど、そこには子どもをコントロールしたいって意識が働いてるんだって。
つまりそれは子どもを信頼してないってこと。
「愛着」と「執着」は表裏一体で見分けがつきにくいものね。
人だけでなく、モノに対しても「執着」って言葉は使われる。
何事にも「執着」しないようにしたいな。
では!