吉沢久子の簡素のすすめ
実家で片付けをしていたら、ずいぶん前に読んだ本を発見。
1999年に発行されたものですが、内容は全く古くありません。
(吉沢久子さんは2019年に101歳で亡くなられています)
簡素な生活、シンプルライフ 、お片付けについての本は現在でもたくさん出版されていますが、モノのない時代に生きてきた吉沢久子さんのお話は、相次ぐ値上げなどで生活を引き締めて、節約もますます頑張らなくては!と思う今にぴったりの本だと思います。
コロナ禍やウクライナ侵攻、相次ぐ災害などで、今まで当たり前と思っていた生活は、当たり前ではない、ということを最近になって身にしみて感じているわたくしに「水という資源は無限でない」という話など、とても耳が痛くなります。
無限ではない資源
水に関してのどきっとした話もありました。
(若い人が)湯沸かし器からお湯をどんどん流しながら茶わんを洗っているのが気になり、私はよく注意する。
流れ水で洗うときは、必ず下に洗いおけを置いて、たまったお湯は、ごみバケツとかを洗いなさい、きれいなお湯や水ならバケツにとって掃除用に、と順を踏めば水がそれだけ有効に使えるから、と言う。
水やお湯を何も考えずにザーザー使って流していました、猛省。
人並みという価値観
最近はいろいろ処分しなければいけないモノについて考えているのですが、この本を読み返して、わたくしたちは「人並み」という価値観に振り回されて、自分自身を苦しめているのだなあと改めて思いました。
冠婚葬祭はもちろん、日々の生活においても、服の流行やレジャーの楽しみ方、教育など、「みんなが持っている」「世間体が」などと言って、自分ではなく周りに合わせた暮らしになっています。
葬儀について言うなら、「最後なので豪華にお送りしましょう」「これくらいが一般的です」などと葬儀会社の言うなりになってしまいがち。(なってしまった!キーっ!)
故人を思って送る自分の気持ちを込めるのが大事なことであって、形ではないんですよね。
もちろん送る形は人それぞれ。
豪華な葬儀で送るのもいいし、家族だけで祭壇も質素にという形でもいいんですよね。
服だって、余暇の過ごし方ももっと自分本意にならないといけませんね。
シンプルライフ は完結しない
1999年発行のこの本。
子供が幼稚園ぐらいで、わたくしがシンプルライフ を目指し始めた頃です。
あれから20数年経ったのに、わたくしのシンプルライフ は完成していません。
というか、世界は余計に複雑になってきてしまったように感じます。
シンプルライフ (簡素な生活)について語った原点のような吉沢久子さんの本。
おそらく図書館で読めると思いますので、ぜひ読んでみませんか。
いろいろ、ハッとさせらること多いです。
では!