※2018年6月18日公開、2021年8月30日加筆修正
片付けなくちゃ!とか、家事の時短を考えなくては!とか毎日考えてるけど、それには何か目的があるわけで、あくまで手段なのだよなあと思いました。
「手作り」のこだわりから抜け出せない
土曜日の「NIKKEI プラス1」に掲載されている、「なやみのとびら」に目がとまりました。
50代女性(おそらく専業主婦)からの相談の悩みは、
「『食事は手作り』こだわりで自縄自縛(じじょうじばく)」というものでした。
食事は手作りが当然と言う家庭に育ち、家族からは市販品をうまく取り入れれば?と言われてるのに、どんなに忙しくても1から手作りしてしまう。
だからと言って市販の総菜を取り入れれば、自分が罪悪感にさいなまれる事は必至。
でも、変化できない自分にも悩んでいる、というのです。
時短はやりたいことのための手段に過ぎない
回答者の著述家の湯山玲子さんのお答えは、
仕事をしながら子育てしている主婦の方なら、市販の総菜を取り入れても罪悪感は感じなけど、仕事も子育ても介護もしていない主婦の方だったら、罪悪感は強くなりそうです。
相談者の方に必要なのは『料理を手抜きしてもやりたいことがある』という事ではないでしょうか。
『私は自分の人生の時間をどうやったら満足できるだろうか』という本質に向き合ってみて。
「 料理をする時間を短くする」事が目的ではなく、やりたいことがあって、そのために時短するのです。
時短は手段なのですよね。
手作り、時短、どちらが正しいということではなく
世間が「時短!時短!」とすごく言ってるから、なんか時短しないといけないような気になるのも、なんとなくわかります。
そして、何が何でも「手作りじゃなきゃ!」と周りに押し付けるのはよくないけど、本当に好きなら、こだわっていいと思います。
相談者の方は、心から料理をすることが好きならば、徹底的に手作りにこだわって、ブログとかyou tubeとかにレシピを公開したり、作るプロセスを動画にとってアップしたらいいかもしれませんね。
ああ、わたくしも「時短」が正義だと言わんばかりになってるかもしれません。
片付けも同じかも
「モノを捨てること」「時短」が正義になって、周りに押し付けているかも。
片づけは手段であって、「自分の人生の時間を満足できるもの」に時間を使う事が目的なのです。
そしてその目的は好きなことをするためのものであっても、ゆっくり睡眠をとって自分を休ませるためでもいいのです。
実家の親とかに片付けをすすめても反発されるのは、親がどういう目的のために片づけをするのか理解していないからかもしれません。
まあ、うちの母なんか「は?目的?わからんし!そんなん考えるのめんどくさい!」って言うに決まってるけど・・・
「片づけ」や「時短」を使って、わたくしは「こんなに楽しい事やってるよ」と言えるようにしなくちゃ。
では!