※2018年8月26日公開、2021年6月24日加筆修正
生きている限り
「私たちは生きている限り何かを失くし続ける」
たまたま何気に観てた、NHKのドラマの中のセリフ。
なるほどなあと思いました。
じっとしているだけでも、時間は過ぎ去っていくし、若さはどんどん失われていくし、体力だってどんどんなくなっているし、家族や友達が死んでしまったりするし、おととい食べた夕食がなんだったか忘れてしまうし。
生きている限り何かを失くし続けるってことは、人はいろいろなものを失くしながら生きているってことかな?
生きる事は失うこと?
喪失感からため込んでしまう
人はいろいろ失うから、その失ったものを何かで埋めたいために、モノを買ったり、ためこんだりするのかな?
若い人は得る事の方が多いから、失う事へのあせりはあんまりない。
(もちろん全然ないことはないけど)
年を取っていくと、失うことのスピードがぐんとあがるから、よけいに怖くて、どんどん溜め込んだり、しがみついてしまうのでしょうね。
でも、何かを失くすことをただむやみに怖がるのはやめた方がいいなあ。
失くしたものを、すっかり忘れてもいいし、大切な宝物として覚えておくのもいいと思う。
(大切な人との別れとかはそう簡単にわりきれないから、それ以外)
ただ、それに「執着しない」こと。
これからだって、知識や新しい考え方、新たな発見など、得る事はたくさんです。
最後に残るモノ
人には許容範囲というものがあって、無限に何かを持っておく事ができないから、どんどん失くしてしまうのでしょう。
そして、本当に本当の最後らへんに、研ぎすまされた、選びぬかれた大切なものが残るって寸法なんじゃないかな。
まあ、人世そうかっこよくは終わらないだろうけど、とにかく何かを失くす事ことをむやみに恐れるのだけはやめておこう。
では!
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