NHKBSの「幸せのダウンサイジング~カナダ シニアたちの大整理作戦~」というドキュメンタリー番組を観ての感想です。
身辺整理の悩みは世界共通
カナダに住む60代、70代、90代のシニアが主人公。
それぞれ、パートナーが亡くなったり、加齢で体が不自由になってきたことをきっかけに、本人や家族が片付けをするという内容です。
どこの国に住もうが、人が年をとって弱ろうが、亡くなろうが、モノは変わらずそのまま存在し続けるのです。
日本以外の人も片付けに悩んでいるんだなあとわかりました。
お母さんが決めるしかない
番組で出てきた70代の女性の持ち物は、おばあさんが描いた絵や亡くなった旦那さんと選んだ家具、何十年もかけて揃えた銀食器や陶磁器。
「ゴミとして捨てることはできないわ」。お母さんの言葉に娘さんは言います。
(残すのは)全部は無理。これは(捨てるのは)私は手伝えないの。それぞれのモノの「物語」も知らないし。お母さんが決めるしかないの。
「捨てる」「片付ける」はその持ち主が決断することで、例え家族でも決められないことなのです。
三世代の遺品を受け継いだシニア
60代の男性は、突然亡くなった(何年前に亡くなったのかは不明)妻の遺品がいまだに捨てられなくて困っていました。
遺品は妻の三世代にわたる一族全部から引き継いだ美術品や家具。
家に保管している他に倉庫も借りていて、保管している20年間の賃料が4500万円!
どれも素晴らしい骨董品ですが、リーマンショック以降こういうものの価値が下がって、今はタダよりましという金額で買取されてるそうです。
「ダウンサイジング」しよう
90代の女性は娘さんたちが片付けしていると「私もそうやってどこかに捨てるんでしょ!」って怒ってました。
不安なんですよね。
70代の女性も「今までの生活を維持できないの(ダウンサイジングすること)は敗北のような気がした」そうです。
でも 「ダウンサイジングはただ生活を小さくすることではなく、正しい大きさにすること。正しい行いなの」って言ってるのが印象的でした。
日本語だと「(家のものを整理して)捨てる」だけど、英語だと「ダウンサイジング」。
サイズ(規模)を小さくする、ということです。なんかいい言葉ですね。
「捨てて!」と言うより「規模を小さくしようか?」と言ったほうが断然受け入れられやすいんじゃないかな?
これからダウンサイジングという言葉を使おうかな。
決断することは大変だけど
亡き妻の一族の遺品を売ったお金で本当は奥さんと行きたかったクルーズの旅に行くことにした男性。
「(遺品は)単なるモノ、本人ではない」と心に生き続ける妻と一緒の旅です。
20年間4,500万円を無駄に保管料に注ぎ込むって事実に早く気付けよ!って思いますが、それだけ亡くなった奥さんのことを愛していて、なかなか決断できなかったんですね。
まだ体力や気力がちゃんとあるうちに自分で「決断」しましょう!
あと思ったのが、この番組のお宅はモノにあふれていても、そのモノが高価なモノだったり、趣味のいいモノだったり素敵なものが多かったんですよね。
日本のお片付け番組だと、服とか紙とかプラスチックの安っぽいものがあふれてるんだけど、お国柄なんですかね・・・
では!