先日台所にいたら、マンションの並びのお部屋の玄関口で誰かが喋っているのが聞こえました。
聞こえてきた断片的な言葉から推測したら、ご近所の部屋を尋ねたのは小学校の先生で、おそらく家庭訪問だったのでしょう。
快活な若い(若そうな)先生の元気な声。
お子さんの学校の様子を伝える前向きな言葉。
話の内容はあんまりハッキリ聞こえなかったけど、なぜかその人の喋り方とか言葉に違和感を感じました。
その違和感は不快なものということではないのです。
なんで違和感を感じたんだろうと、ずっと考えてたら、あっ!と気づきました。
その人の喋り方とか言葉って今の自分の日常にはない空気だからだったんだ、と。
そしてその空気というのは「子供がいる若さのある生活」。
現在、子供は社会人と大学生で家を出ています。
高校生ぐらいまでは、学校の様子を見たり、先生など子供を見守ってる人から話を聞けたのですが、今はもう何もわかりません。
そして、学校のあの若さや元気があふれる空気に触れることも、まったくなくなってしまいました。
子供と直接触れ合って揺さぶられる感情や、疲労感、そして 喜び。
ハイスピードで自転車を漕いでるような日常。
現在、夫婦二人生活で実家の母や高齢者の多いご近所とのコミュニケーションがほとんどです。
寂しいと思ったことはなかったのですが、あの「若い空気」にすっかり触れることが無くなってしまってるという現実に気づいて驚いてしまいました。
ああそうか、これが年をとるということなんだなあ・・・
無理に若い人に合わせようとは思わないけど、若い感触をたまには思い出したり、感じたりはしてみたいなあとも思いました。
コロナ禍なのであまり出かけられませんが、ナウでヤングなお店やカフェなどにも出かけてみようかな。
でも、老いというものに少しづつ理解を進めている今の時間も、静かで悪くはない、と思ってはいるんですよ。
では!
↓老いについて考える!