ご存知の方も多いかもしれませんが、「注文を間違えるレストラン」をご存知ですか?
去年のお話なのですが、注文をとるスタッフが全員認知症というコンセプトでオープンした期間限定のレストラン。
もちろん、レストランなのでお客様が満足してくれる美味しい料理を出しますし、認知症のスタッフがわざと間違えるように仕向けるのではなく、一生懸命接客するけど、間違えたらごめんなさい、という内容なのです。
認知症といっても、何にもできないわけではありません。
できることはたくさんあるのです。
認知症のスタッフの方々は、自分のできることを一生懸命やって、生き生きと働いたそうです。
このプロジェクトの発起人の小国士郎さんの言葉が心に残ります。
『間違えたり忘れたりしても、ま、いいか』そう思えるだけでほっと心が軽くなるのだとしたら、認知症のあるなしに関係なく、みんなにとって居心地のいい社会になるんじゃないでしょうか。そういうほんのちょっとの寛容の精神をどうやったら持てるようになるかということは、考え続けていきたいですね」
「ま、いいか」という寛容の精神は介護の現場だけでなく、社会にも広がれば、ほんと居心地よくなりますよね。
母に対しても、「ま、いいか」の精神で対応できれば、ずいぶん楽になるでしょう。
ただ、自分の親になると昔はあんなにちゃんとやってたのに、とか私には厳しかったのに、という思いがついて回るので、どうしても間違いを正そうとしてしまいます。
親も自分が間違ったり、覚えてなかったりする現実に困惑して、受け入れられなくて、暴言を吐いたりするのでしょう。
そして今まで自分が上から子供に物を言ってたのに、その子供が今は自分の上から物を言うという現実も、とても悔しいし、情けない。
ここはどう考えても、若いこちらの方が折れて、「ま、いいか」の精神にならないといけません。
年老いた親はどうやっても変わりませんものね。
でも、わたくし自身もなかなか「寛容さ」なんて身につきません。
やるしかありませんけど。
最近「老い」ってこうなろう!ってなれるものではなく、ひょっとしたら嫌な部分がゴリゴリに出てくるかも・・・という可能性も自分にもあるものだと少しづつわかってきました。
ここはもう親を受け入れるしかありませんし、どうしても無理な部分は距離を置くという手段もあると思います。
介護の現場だけでなく「寛容さ」がある世の中を、目指していきたいですね。
でも食べ物をいっぱい出してきて、もういらないって言ったら「なんで食べられないんだ!」って、怒る母。
ほんとお腹いっぱいなんだよ。やめてほしいわ。
では!