2020年2月27日の日経新聞の夕刊の「プロムナード」というコラムがとても興味深かったです。
筆者は写真家の長島有里枝さん、コラムの題目は「お母さんばっかり」。
息子さんとパートナーの方と住んでらっしゃるようで、入学手続きの話が出てたので息子さんは高校生だと思います。
長島さんのある日の一日のことです。
原稿の締め切りに追われながら、市役所に入学手続きの証明書を取りに行ったり、銀行に行ったり、給湯器の故障でガスの業者さんが来るので、その対応をしたり、原稿を書き終わってないうちに夕飯の支度を始めるという、お子さんのいる家庭ならどこででも毎日繰り広げられる光景です。
そして仕事を「終えた」家族は、
同じように一日中働いたあと、家族のためにもうひと仕事するわたしの傍らに立って、楽しそうに自分のことを喋る。
家族で会話があるのはとても幸せなことだというのはわかります。
ただ、今日丸一日を自分のためじゃなく家族のために働いていることに、家族が気づいているのかと、何度もちらっと考えたことはわたくしにもあります。
気づいていないのか、慣れてしまったのか、あるいは気づかない振りをしているのか、いずれにしても彼らは鈍感だ。
長島さんが疲れたとこぼすと、家族は肩もみをしてくれたりいたわってくれるそう。
もしわたしが夕飯作りを一日でも「省略」したら、彼らは困惑するだろう。こちらの仕事は省略できないものばかり。
本当にわたくしもこうゆうモヤモヤを抱えながら、やってきたものです。
先ほども書いたように、子どもが自分に話しかけてくれるうちが花というか、とても幸せなことというのは事実です。
ありがたいことです。
でも、「今のうちだけだから」とか「幸せなことなんだから」と、お母さんが休みなく家族のために働き続けるってのは、いけないなあと思いますし、それを押し付けてはいけないことです。
どんどん家事や家のことは家族にやってもらいましょう。
うまくできなかったり、失敗することも多いかもしれませんが、『もしわたしが夕飯作りを一日でも「省略」した』ってなんとかなるものです。
お母さんの仕事はたしかに無限大です。
でも、もっともっと家族をたよっていいです。
わたくしも、もっと早く気がつけばよかったと思ってます。
では!