某ボクシング連盟の某会長のニュースが賑わってますね。
会長のプロフィールを見て気になったのですが、
肩書きの多さも気になりますが、なんたって目立つのが、
「日本ボクシング連盟終身会長」。
なんでしょう、「終身会長」って。
長嶋茂雄氏のようなレジェンド的な存在の方が、尊敬の対象として
「終身名誉会長」という名称を与えられるのはわかりますが、
「終身会長」なんて役職があるのでしょうか。
「終身会長」死ぬまで会長。ずっと会長。
ずっと平社員。あ、それは「万年平社員」か。
それに定年があるし。
なんか、会長って役職にすんごい執心してる感、満載です。
終身会長の役職に、ご執心・・・(ざぶとん、3枚!)
なぜ男性って(女性もいると思うけど)とくに中高年だと思うけど、
肩書きにこだわると言うか、しがみつくのかなあ。
もちろん、肩書きが悪いとかではないし、その役職を目指して
仕事に邁進する事はいい事だと思うけど、目指すのはどういう仕事を
するのかであって、肩書きという名前をふりかざすことではないはず。
印象深い言葉がありました。
1年間は何時間あるかご存じですか?
答えは1日24時間×365日で「8760時間」です。
では、そのうちのどのくらいを仕事に費やしているのかというと、
残業を入れてもせいぜい「2000時間」です。
肩書きというのは、この2000時間で使っている機能に過ぎません。
一年のうちの2割ちょっとの時間のための
「肩書き」なのですね。
8割の時間はお父さんや息子、
趣味でやってるスポーツクラブの会員であったり、
習い事の生徒さん、といった「肩書き」があります。
人生のほとんどの8割よりも2割のために、
必死になってる姿はなんだかおかしいものです。
終身なにかでいたいなら、「終身自分」でいいんじゃないのかな?
死ぬまで会長と言われたいがために、人を傷つけ、
恨みを買って、嫌われて終わる人生が本望ならいいんだけど。
では!